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日本陸上競技連盟 強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー瀬古利彦さんのコメント

 私は4回優勝させていただいて、福岡国際マラソンに育ててもらったという自負もあるので、この大会がなくなってしまうと私自身の歴史もなくなってしまうような気がして、すごく寂しいです。

 我々の年代のマラソン選手で福岡国際を知らない人はいないでしょう。海外の選手も、福岡国際は世界一を決めるレースだと思っていたと思います。福岡国際の歴史がそのまま世界のマラソンの歴史だったとも言えます。

 5回出場した中で特に思い出に残るのは、モスクワオリンピック代表の座もかかった1979年の、宗茂・猛兄弟と3人で競って平和台陸上競技場に入った大会。40キロから一度は宗猛さん、茂さんに置いていかれて「もう負けたな」と思ったけれど、あきらめずに粘ったら追いついて優勝できた劇的な展開でした。あきらめてはいけないという「マラソンの真髄」を覚えたこのレースの経験が、後にもずっと繋がりました。

 指導者としても、エスビー食品の監督を務めていた2003年の大会で国近友昭が優勝してくれて、自分が育てた選手を初めてオリンピックのマラソン代表にさせることができた印象深い大会でした。日本選手3人が2時間7分台で入ったそのレースの展開は、今でも鮮明に覚えています。

 ※瀬古さんは福岡国際マラソンに初出場した第31回大会(1977年)で日本選手最上位の5位。第32回(1978年)、第33回(1979年)、第34回(1980年)、第37回(1983年)で優勝。4度の優勝は大会最多タイで日本選手としては最多。3連覇も日本選手最多

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