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福岡市平和台競技場〜福岡市西南部周回〜香椎折り返し
午後0時10分スタート
(出場選手586人、完走者439人、天候曇り、気温5.4度、湿度50%)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.ツェガエ・ケベデ (エチオピア) 2:06:10
2.入船 敏 (カネボウ) 2:09:23
3.藤原 新 (JR東日本) 2:09:47
25キロを過ぎ、徐々にペースが上がった先頭集団。ケベデ(右端)がペースメーカーをあおるようにすぐ脇を走った。
後ろには日本人トップの入船(右から2人目)。
松宮(右から4人目)、佐藤(右から5人目)、藤原(右から6人目)も先頭集団にいた。北京銅ケベデが大会新V 30キロで驚異のスパート 入船、藤原が世界陸上へ

 76年モントリオール五輪以来、32年ぶりに男女ともマラソンで入賞なし(日本不参加の80年モスクワ五輪をのぞく)に終わった北京五輪から3カ月半。再浮上のきっかけをつかみたい日本勢にとって、男子に与えられた最初の舞台。09年夏にベルリンで開催される世界選手権代表の選考レースでもあり、主力級の選手たちが集ったが、台頭するアフリカ勢の強さを、改めて見せつけられる結果になった。
 スタート前は雲がたれ込めた。気温5.4度と冷え込んだ。記録が出やすい状況で、ペースメーカーは序盤、5キロ15分10秒前後のペースで先頭集団を引っ張った。中間点は1時間4分2秒で通過。最後まで維持すれば2時間8分4秒。日本歴代12位(08年12月末現在)に該当する、なかなかのハイペース。五輪、世界選手権で3大会連続5位入賞の油谷繁(中国電力)が27キロ過ぎに遅れた。
 だが、世界は一歩先に行っていた。すでに世界記録は2時間3分台。9月末のベルリンマラソンで、ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が、2時間3分59秒を樹立。スローペースが当たり前だった夏のマラソンでさえも、8月の北京五輪で、07年福岡国際覇者で日本育ちのサムエル・ワンジル(ケニア)が2時間6分32秒で制した。
 「遅さ」に我慢できなくなったのか、ツェガエ・ケベデ(エチオピア)が、28キロ付近からペースメーカーをあおるようなしぐさを繰り返した。157センチと小柄ながら、3回目のマラソンとなった北京五輪で3位に食い込んだ成長著しい21歳。大きなストライドで弾むように走る。30キロでペースメーカーが外れると、ためていた力を解放した。
 日本人選手が追う姿勢を見せたのは、ほんの300メートルあまり。双子の兄が5000メートル日本記録保持者の松宮祐行(コニカミノルタ)、世界選手権に1万メートルとマラソンで出場経験がある入船敏(カネボウ)、07年世界選手権マラソン代表、佐藤智之(旭化成)がペースを上げたが、追えばつぶれてしまうのは明白。3人は目標を世界選手権代表に自動内定する「日本人トップ」に切り替えざるを得なかった。
 ケベデの30〜35キロは14分17秒。日本なら1万メートルのトラックレースのようなスピードだ。優勝タイム、2時間6分10秒は、前年にワンジルが記録した大会記録より29秒速く、99年東京国際でゲート・タイス(南アフリカ)がマークした2時間6分33秒をも上回って、日本国内で行われたマラソンで出された中で、最も速い記録になった。
 日本人の首位争いは、32キロまで松宮が逃げ、抜いた佐藤も35キロでじり貧に。最後まで辛抱して後方待機した入船が制した。過去、後半の失速が目立っていた32歳は「どんな遅いペースになっても35キロまでは出ない」と作戦を立て、実行した。
 日本人2番手には、若手の成長株、北京五輪は補欠で悔し涙をのんだ藤原新(JR東日本)が入った。28キロ過ぎに先頭から離れ、自分のペースで走った。2月の東京マラソンの2時間8分台が、フロックではなかったことを証明した。
 レース後、日本陸連の沢木啓祐専務理事は「大きな力の差を感じた」と厳しい見方を示した。結局、その後に続いた別府大分、びわ湖、東京の世界選手権代表選考レースでは、日本勢は1度も海外勢に勝てなかった。
 一方、ケベデは4カ月半後の09年4月、北京五輪のメダリスト全員がそろったハイレベルなロンドンマラソンで2時間5分20秒で2位。ワンジルと激しい優勝争いを繰り広げるなど、まさに今、世界のトップランナーの一人だ。
 福岡国際で入船がつけられた差が、アフリカ勢と日本勢の現状を如実に表していた。

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