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福岡市平和台競技場〜福岡市西南部周回〜香椎折り返し
午後0時10分スタート
(出場選手462人、完走者303人、天候雨、気温7.4度、湿度53%)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.ハイレ・ゲブレシラシエ (エチオピア) 2:06:52
2.ドミトロ・バラノフスキー (ウクライナ) 2:07:15
3.ジャウアド・ガリブ (モロッコ) 2:07:19
38キロ過ぎにスパートするハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)。
後方はジャウアド・ガリブ(モロッコ)とドミトロ・バラノフスキー(ウクライナ) 。

 この年9月のベルリンで2時間5分56秒の06年世界最高記録をマークしたハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が、日本のマラソンに初見参。5000、1万メートル、ハーフマラソンなどで21度も世界記録を塗り替えてきた「皇帝」の参戦が、第60回目の伝統レースの話題をかっさらった。大会は日本で16年ぶりの開催となる世界選手権大阪大会の選考会も兼ねた。「2時間9分30秒を切って日本選手1位」が条件の代表の座を、誰が真っ先に射止めるのかも焦点だった。
 気温7.4度。冷たい雨まじりのスタートは、アームバンドやニット帽で防寒した選手が散見。初めの5キロは15分44秒のスローペースだったが、15分12秒、15分1秒、15分2秒と5キロごとに上がり、安定した。
 中間点は1時間4分19秒で、まだ集団。しかし、そこからペースメーカーに「上げろ、上げろ」と、けしかけるゲブレシラシエ主導のレースに。ペースはさらに上がり、前日本記録保持者の藤田敦史(富士通)を27キロで、世界陸上ヘルシンキ大会銅メダルの尾方剛を28キロでふるい落とした。
 粘るアテネ五輪6位の諏訪利成(日清食品)も33キロ手前で遅れ出す。日本選手で唯一食らいついた奥谷亘(SUBARU)も35キロ手前までが限界。30〜35キロまでの先頭のペースはそれまでで最速の14分43秒に上がっていた。
 優勝争いは06年覇者のバラノフスキー(ウクライナ)、03、05年世界選手権2連覇のガリブ(モロッコ)と、ゲブレシラシエの3人に。最も余力があったゲブレシラシエは、そこで「勝った」と確信。38キロ付近で仕掛け、大会記録にあと1秒に迫る2時間6分52秒で初優勝した。5度目のマラソンで、初めて前半よりも後半のタイムがいいパターンを経験し、「きょうは加速してゴールできた」と収穫も口にした。
 2位バラノフスキー、3位ガリブに続いて、日本勢トップには奥谷がよく粘った。
 ゆっくり長く走り込む豊富な練習量に裏付けされた粘りをここ一番で発揮。最後の直線では、諏訪に3秒差まで追い込まれたが、力を振り絞るように日本選手トップを死守した。
 「注目選手に自分の名前がなくて、面白くなかった。大物を食ってやろうと思った」と語った伏兵は、自己記録を24秒短縮する2時間8分49秒で見事に条件をクリアし、世界選手権代表第1号に内定。しかし、07年4月、大腸に穴があく盲腸穿孔(せんこう)性憩室炎が発覚。大腸の一部と小腸のほとんどを切除する大病に見舞われ、代表辞退に至った。
 福岡を走った中から5位諏訪、6位尾方が代表入り。10位だった佐藤智之(旭化成)も07年2月の東京で2位になった実績を買われ、奥谷に代わり出場した。酷暑の世界選手権本番では、尾方が5位、諏訪が7位入賞を果たした。
 一方、優勝のゲブレシラシエは世界選手権を欠場。07年9月のベルリンで2時間4分26秒の世界記録をマークし、福岡優勝から、マラソン世界最速へのサクセスロードをひた走った。

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