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福岡市平和台競技場〜雁の巣折り返し
午後0時15分スタート
(出場選手149人、完走者130人、天候晴れ、気温11.8度、湿度46%)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.中山 竹通 (ダイエー) 2:10:00.0
2.児玉 泰介 (旭化成) 2:10:36.0
3.ミハエル・ハイルマン (東ドイツ) 2:10:59.0
両手を上げてゴールする中山竹通(ダイエー)。電光計時板はこの直後2時間10分台に切り替わる

 電光計時が2時間9分から10分に切り替わった瞬間、マラソン3回目の24歳、無名の長身ランナー中山竹通(たけゆき)=ダイエー=が、トップでフィニッシュラインに飛び込んだ。
 うれしさのあまり、バンザイをしながら跳びはねるようにゴールしたため、日本選手5人目となる「9分台を逃した」と関係者からは文句も出たが、本人は「優勝なんて思ってもみなかったから」。前年の福岡は14位。マラソン界に新しいヒーローが誕生した。
 その年のロサンゼルス五輪で、日本は宗猛(旭化成)が4位、瀬古利彦(エスビー食品)が14位、宗茂(旭化成)が17位とメダルに届かなかった。意気消沈気味の日本で、身長180センチの大型ランナーの鮮烈な優勝は、4年後のソウル五輪への希望の光として受け止められた。
 前回2位の「アフリカの黒ヒョウ」イカンガー(タンザニア)が序盤、レースを引っ張ったが、20キロまでは5キロ15分30秒前後のスローペース。日本の若手も楽についていた。
 折り返して追い風になるとペースアップし、集団がばらけた。和白の交差点手前の27キロで中山がトップに出た。25〜30キロは14分56秒。前年7位の喜多秀喜(神戸製鋼)、6位の伊藤国光(鐘紡)、イカンガーが次々と後退した。
 中山を追ったのは2時間9分30秒のベストを持つハイルマン(東ドイツ)だけ。だが、36キロの給水所で両足にけいれんを起こし、その後は中山の独走になった。
 中山は翌1985年4月のワールドカップ広島大会で、当時の日本最高となる2時間8分15秒をマークし、日本のエースに駆け上がった。

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