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福岡市平和台競技場〜雁の巣折り返し
午後1時スタート
(出場選手58人、完走者47人、天候晴れ、気温11度、湿度56%)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.マイク・ライアン (ニュージーランド) 2:14:04.6
2.広島日出国 (旭化成) 2:14:05.2
3.岡部 宏和 (西鉄) 2:15:09.2
ゴール前の接戦。スパートするライアン(ニュージーランド)と懸命に追う広島日出国(旭化成)

 この年夏にブダペストで開催された国際陸上競技連盟(IAAF)総会で、日本陸連は「世界マラソン選手権」の日本開催を提案した。当時のエクゼターIAAF会長は、「陸上競技36種目のうちマラソンだけの世界選手権を許すわけにはいかない」と却下。だが、実質的に世界一を決めるIAAF後援の「チャンピオンシップならば可」と議決された。
 朝日マラソンとして始まって20年目の大会は、「国際マラソン選手権」と改称。英語で「Championship」とうたう唯一の世界レベルのレースとして、再出発を果たした。
 同年の欧州選手権優勝のホーガン(英国)、英連邦選手権3位のライアン(ニュージーランド)ら海外勢は9人。前回優勝の広島日出国(旭化成)、前々回優勝の寺沢徹(倉敷レイヨン)らも出場した。10人以上の集団で中間点を1時間7分57秒で通過。優勝候補と見られた寺沢がホーガンともつれて転倒し、腕を負傷して走り続けた。
 レースが動いたのは34キロ付近。ライアンが前に出て、広島が食らいつく。35〜40キロの2人のペースは15分23秒に上がった。40キロ付近。広島が、使用したスポンジをライアンに手渡し、心理を探る場面もあった。
 決着は競技場へ。ライアンが広島を振り切り、0秒6差で勝利。2年前の寺沢の大会記録を上回り、その年の世界ランク2位に相当する好記録だった。

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