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福岡市平和台競技場〜雁の巣折り返し
正午スタート
(出場選手54人、完走者48人、天候雨、気温10.8度)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.寺沢 徹 (大阪) 2:16:18.4
2.中尾 隆行 (東京) 2:16:53.4
3.君原 健二 (福岡) 2:18:01.8
33キロ付近で先頭を走る寺沢徹(大阪)と追いすがる中尾隆行(東京)

 2年後に迫った東京五輪に向け、日本はマラソンの強化に力を注いでいた。10月から主力選手7人は、7週間のニュージーランド合宿に送り込まれ、レース序盤から5キロごとを16分台前半で押していくことを想定した、スピード重視の練習を徹底的にこなした。
 合宿中にオークランドであったニュージーランド選手権で、中尾隆行(東京)が、非公認ながら、自身の日本最高を上回る2時間18分52秒を出すなど、その効果は表れていた。
 福岡・平和台競技場発着の雁の巣折り返しの開催は連続4度目。当初、福岡へ出場予定だったローマ五輪金のアベベは体調を崩してキャンセルしたが、同じエチオピアから、6年後のメキシコ五輪を制することになるマモが乗り込んできた。
 そのマモが、レースの前半を支配した。最初のペースは5キロ17分台。10キロ、15キロと進むにつれてスプリットは16分台前半に上がり、マモが前へ出た。中間点は後続を30秒以上離して通過した。だが、気温11度に加え、小雨の条件にマモが苦しむ。26キロで吸収されると、30キロ過ぎでは歩き出した。
 日本勢の本領はここからだった。マモを目標に追った集団から、ニュージーランド合宿組の寺沢徹(大阪)が、37キロでスパートし、食い下がる日本最高記録保持者の中尾との差を広げた。メキシコ五輪で銀メダルに輝くことになる初マラソンの君原健二(福岡)も追った。
 寺沢は、日本最高を2分半以上縮める驚異的なタイムでゴール。2位中尾、3位君原も当時の日本最高を上回り、東京五輪へ期待が芽生えた。

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