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名古屋市瑞穂競技場〜小牧折り返し
午後1時スタート
(出場選手61人、天候曇り、気温9度)

名前 所属 時間 大会結果詳細へ
1.浜村 秀雄 (山口) 2:27:26
2.広島 庫夫 (宮崎) 2:28:07
3.貞永 信義 (山口) 2:28:44
名古屋市内を走る選手たち。ナンバーカード1は山田敬蔵(秋田)

 4月のボストン・マラソンで山田敬蔵(秋田)が2時間18分51秒の驚異的な記録で優勝。その後距離不足が判明し幻の世界最高となるが、その活躍には日本中がわいた。山田は帰国後、オープンカーで銀座をパレード。活躍の様子を再現した映画「心臓破りの丘」の制作も始まった。ヘルシンキ五輪の惨敗から、日本のマラソンは自信を徐々に取り戻していた。
 ボストン優勝の山田をはじめ、4位の西田勝雄(東京)、6位の浜村秀雄(山口)、8位の広島庫夫(宮崎)ら4人が名古屋でのレースに顔をそろえた。61人が、瑞穂競技場をスタートした。
 序盤から伏兵の高橋芳勝(長野)が飛ばし、中間点を1時間11分46秒。後続に1分14秒の差をつけた。高橋のピッチはなかなか衰えず、35キロまで依然トップ。山田は26キロ付近で遅れ始めたが、西田、広島、浜村らが37キロ過ぎで高橋をとらえた。高橋は結局、6位に沈む。
 「イチかバチか」と38キロで勝負に出た浜村には、余力があった。35〜40キロの5キロもほぼ17分でカバーするハイペース。2時間27分26秒の大会新で初優勝した。
 浜村はレース後、「自動車に2回、自転車に3回遮られた。いっぺん止まると、調子が盛り返せないので苦労した」と漏らしている。4位までが2時間30分以内のハイレベルのレースだった。

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