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君原健二さん、50年後の勲章

2016年4月26日
今年のボストン・マラソンを完走した君原健二さん
第33回大会で48位に入った君原健二さん

 マラソンのレジェンド≠ノ新たな勲章が加わった。

 1968年のメキシコ五輪のマラソンで銀メダルに輝いた君原健二さんが、4月18日に開催されたボストン・マラソンを4時間53分14秒で完走した。3月に75歳になった君原さんは自身74度目のマラソン完走となる。これまで一度も途中で棄権したことはない。

 今回、ボストン・マラソンには50年前の優勝者として招待された。半世紀前のチャンピオンを招くとはなかなか粋な計らいで、今年で120回を数える同大会ならではの企画だ。君原さんは30年ほど前から、この「半世紀後のマラソン」を視野に入れ、できるなら完走したいと人生の目標にしてきた。

 ボストンを制した日本選手は、1951年の田中茂樹さんの初優勝から87年の瀬古利彦・現DeNA総監督まで7人(8度)いる。君原さんによると50年後に完走できたのは、53年に優勝した山田敬蔵さんだけだという。今回は2人目の偉業達成で、瀬古さんには失礼かもしれないが、完走者は君原さんが最後になりそうだ。

 66年にボストンを制した頃、君原さんはメキシコ五輪を控えて、競技を続けるかどうか悩んでいた、という。5位だった東京五輪の後は1年間まったくレースに出なかった。「五輪選手としての責任がつらくて仕方がなかったんです。五輪選手に選ばれた栄誉を考えれば楽だったのに、つらい側面ばかりを思っていました」

 そしてアマチュア選手としての立場に疑問を抱いていた。「合宿に行けば仕事をしないわけです。セミプロのような状態で、本当に仕事と両立している選手に勝っても意味はないと考えたこともありました。たとえ月一度の合宿であっても」。今では到底考えられない、トップ選手のメンタリティーである。これこそ「君原イズム」なのだろう。

 君原さんの記念すべきマラソン初挑戦は福岡国際だ。1962年、当時は朝日国際マラソンと呼ばれた大会に出場し、2時間18分1秒で3位に入った。福岡国際が1947年に熊本で産声をあげてから16回目の大会だった。初マラソンの翌年には東京五輪のプレ大会として、五輪と同じコースで競われた第17回大会で日本選手トップの2位に。結局、79年の第33回大会まで計8度「福岡国際」を走っている。最後の福岡は、モスクワ五輪選考会で瀬古利彦さん(当時早大)が優勝した。38歳の君原さんは2時間23分52秒で48位だった。

 福岡国際は今年で70回。君原さんのような伝説のランナーが再び走れる機会があってもいい気がしている。

朝日新聞西部本社スポーツ担当 堀川貴弘