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20年前の福岡も暑かった

2015年9月10日
北京の世界選手権で2時間32分49秒かかって40位でゴールした前田和浩(九電工)

 そういえば、ちょうど20年たつのかと思い出した。1995年夏の福岡は暑く、熱かった。大学スポーツの祭典、ユニバーシアードが開催されていたからだ。福岡に転勤してきたばかりの記者だった私は、へとへとになりながら、走り回っていた。陸上では渡辺康幸(早大)が男子1万メートルで、山崎一彦(アディダスTC)が男子400メートル障害でいずれも金メダルと日本選手は好成績が続き、楽しく仕事をしていた。だから、最終日にマラソンで起きた“事件”は余計に衝撃的だった。

 9月3日朝、福岡ドームを発着点にマラソンが男女同時スタートで始まった。女子は地元・筑紫女学園高出身の鯉川なつえ(三田工業)に金メダルの期待がかかっていた。鯉川は26キロ付近から独走に。地元ファンを喜ばせたが、その後に悪夢が待っていた。

 午前7時のスタート時点でもう気温28・5度、湿度86%と暑かった。しかも途中で激しい雨が降ったかと思うと、一転して日が照りつけた。湿度は91%まで上がり、蒸し風呂状態に。汗が蒸発せず、体に熱がこもった。熱中症になった鯉川は32キロ過ぎから意識がもうろうとなり、夢遊病者のように蛇行し、コースを逆走もし、39キロで倒れた。この悲劇が引き金となり、次のシチリア大会からマラソンはハーフマラソンに切り替わった。

 「熱中症」という言葉さえ定着していない当時から20年がたち、日本は暑さ対策のノウハウを蓄積してきた。夏マラソンなら世界と戦えるというのが伝統にもなってきた。だから、先日の世界選手権男子マラソンで日本選手が喫した惨敗はショックだった。

 ナショナルチーム(NT)では「暑熱対策サポート」として「体重や深部体温の測定および尿検査等の医科学的サポートと暑熱環境下の給水や栄養等の対処方法を提供する」としているのに、ともにNTメンバーの藤原正和(ホンダ)が21位、前田和浩(九電工)が40位。前田は両脚がけいれんしたという。熱中症の典型的な症状だ。体温の上昇を抑えるという「コアコントロール」なる新兵器も使ったが、焼け石に水だった。

 現地からの報道によると、代表3人の暑さへの耐性は体調不良で直前に欠場した今井正人(トヨタ自動車九州)が断トツだったという。「今井を10とするなら、藤原が6、前田が3。今井でぎりぎり8位入賞くらいと読んでいた」(日本陸連の宗猛長距離マラソン部長)。つまり、今井欠場が決まった時点で世界選手権の連続入賞が途切れることを覚悟していたともいえる。

 暑さに弱いと分かっていても、冬の選考レースで代表を決めるのが日本のいまのシステムだ。暑さへの耐性が体質的なものなら、ジュニアの時期から体質的に暑さに強い選手を選び出して、エリートとして育てる仕組みをつくったらどうだろう。来年のリオデジャネイロ五輪は無理としても、5年後なら何とかなるかもしれない。そういえば、今年から日本陸連は19歳以下の有望選手を対象に東京五輪をめざす「ダイヤモンドアスリート認定制度」というものを始めているが、なぜか男子の長距離選手はひとりもいない。

朝日新聞西部本社スポーツ担当 酒瀬川亮介