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重い体か、軽い体か

2015年2月6日
初マラソンだった2011年の東京マラソンで2時間9分3秒を出したときの尾田賢典(トヨタ自動車)。1日の別大マラソンでは13位と敗れ、現役引退を表明した。

 この冬の駅伝シーズンも終わって、再びマラソンのレースが目白押しの時期がやってきた。1日の別府大分毎日マラソンの前日にあった選手の取材で、離れたところに座って別々に記者に囲まれている2人の選手が、偶然にも同じテーマについて話していたのがおもしろかった。「重い体と軽い体。マラソンにはどっちがいいか」という話だ。

 招待選手のひとり、伊藤太賀(スズキ浜松AC)は昨年12月の福岡国際も走っている。このときは30キロまで先頭集団にいたのに、そのあと急に失速した。35〜40キロは19分13秒、40キロからゴールまでは10分23秒もかかった。典型的なスタミナ切れだ。原因を「体を軽めに仕上げてしまった。スタートのときから少しお腹が空いていた」「給水を取るのがあまり好きじゃなかった」と話していた。体がむくんだように感じるそうで、練習のときもできるなら取りたくないという。しかし、福岡では走る前から軽い脱水状態になっていた。昨年末には、スタミナ面を強化するために1日56キロ走ったり、給水をこまめに取ることを心がけたりと、重めに仕上げてきた。

 5メートルほど横にいた尾田賢典(トヨタ自動車)は初マラソンで自己最高を出した2011年の東京マラソンの話をしていた。「あのときはスタート前に体が重くて重くて、こんなのでマラソン走れるのかと思った」という。ところが、「25キロか30キロくらいから急に体が軽くなって動くようになった」。

 スピードがある選手ほど体の切れがないと不安になるのだろう。1990年代を代表するスピードランナーだった早田俊幸(当時カネボウ)は、駅伝では抜群の切れ味をみせて、次々と前を行く選手をとらえることから「ハンター」の異名をもっていた。しかし、マラソンになると、たいてい35キロ付近からスタミナ切れを起こして後方に沈んでいった。そんな彼にも、明確に成功といえるレースがある。1997年の福岡国際だ。2時間8分7秒で走り、アトランタ五輪金メダルのチュグワネ(南アフリカ)に続いて2位に入った。このとき早田は「こんなに足が重くて大丈夫か」と不安がっていたという。当時、早田がカネボウから移って所属していたアラコの亀鷹律良監督は「マラソン練習というのは、重い足をつくるためにやってるんだから」とそんな不安を一蹴したという。

 さて、別大マラソン。伊藤が気になっていたが、10キロ以降は先頭集団に姿がないままでテレビ画面でも確認できなかった。「途中棄権したかな」と思いながら、レース結果を見ると7位。40キロからゴールまでは7分3秒だった。出場選手中の最速タイムだ。本人に確認し損ねたが、逆に重く仕上げすぎて、体が軽く動くようになるのが遅すぎたのかもしれない。さじ加減はむずかしい。

朝日新聞西部本社スポーツ担当 酒瀬川亮介